Günter Philharmoniker
第63回 プログラムより
「エジプト便り」
エジプトに科学技術大学を造るという日本のODAプロジェクトに参加し、アレキサンドリアに住ん で8年目を迎えました。 長く滞在していると文化の違いなど、 びっくりすることも多いのですが、この 年になると少々のことでは驚かなくなりました。 楽しいこともあまりないのですが、 日本人の有名な方 が来られるとカイロの日本大使館に呼ばれて、 面会する機会があったりします。 今回は、エジプトのオ ケ事情と有名な音楽家に会ったお話です。
エジプトには、カイロ・シンフォニー・オーケストラとカイロ・オペラ・オーケストラがあります。 この2つのオケのフランチャイズはカイロ・オペラハウスです。 このオペラハウスは、40年ほど前に 火災で焼失したのですが、 日本の援助で立派なオペラハウスが再建されました。 一番の出し物はご当地 もの 「アイーダ」 です。 凱旋行進曲が有名ですが、話は、ファラオ時代のエジプトとエチオピア、 二つ の国に引裂かれた男女の悲恋の話です。 何年か前に、 ソプラノの中丸三千繪さんがカイロオペラの「ア イーダ」に出演されました。 残念ながら、 所用のためオペラハウスには行けなかったのですが、 カイロ の日本大使館で行われたミニコンサートに招待されて、 素敵なソプラノを聞きました。 コンサート後の パーティでは彼女とお話もでき、ツーショット写真を取ることに成功しました。 大変に素敵な凛とした 美人で、私のお宝写真の一枚です。
カイロ・シンフォニーは、 毎年アレキサンドリア公演を行っています。 コロナの少し前のころでした か、五嶋龍君がソリストとして、 アレキサンドリア公演に来てくれました。 これも日本大使館に招待い ただき、素晴らしいソロを聞くことができました。 楽屋でお話もできたのに、 何故かツーショット写真 は撮りませんでした。 メインの曲目が、 「展覧会の絵」 だったのは覚えているのですが、 五嶋龍君が何 のコンチェルトを弾いたのかが思い出せません。
中丸さんの記憶は今も鮮明に残っているのですが・・・。 お恥ずかしいかぎりの73歳です。
鈴木正昭 (トランペット)
第64回 プログラムより
「2年と6カ月」
前回の演奏会から、 なんと長い長いゲネラルパウゼ(オーケストラの総休止)だったことか。
この間、世の中の風景も大きく変りました。当然私達オーケストラの活動にも厳しい制限 が求められるようになってしまいました。その様な中、一番苦労したのは練習会場や演奏 会場の確保に奔走してくれたメンバー達だったのではないでしょうか。
感染の増減により 何回も発出される宣言の制約下で、会場の確保やキャンセル等苦労の連続だったようです。そんな地道な活動があったればこそ、こうして演奏会を迎えることが出来ました。感謝感 謝です。
今年の3月、やっと制限が緩和され恐る恐るですが再始動することになりました。再開当日は上手く(合奏の)エンジンが掛かるかドキドキでしたが、2年以上の活動休止に も関わらず慣れ親しんだ音造り (アンサンブル)を取り戻すのに大して時間が掛からなかっ たような気がします。きっと長い年月、一緒に音楽づくりを共にしてきた仲間達だからこ そ出来ることだと秘かに自慢しています。
今回のプログラムは少ない練習回数(通常の半分以下)でアンサンブルを取り戻すため、曲目を2曲に絞りました。本来なら新しい曲に挑戦することになっていましたが、残念で すが次の機会へと持ち越しになりました。ということで、 『乞うご期待!』です。やっぱり気心知れた仲間たちとのアンサンブルは楽しいです。一日も早く 「普通に音楽 を楽しめる日々」 が戻って来ることを願ってやみません。そして更に、練習後の反省会(と 称する飲み会)も早く復活出来ますように。だって、オケの練習とは「その後の飲み会も含 めてセット」だと学生時代から当たり前のように思っていますから。
持丸賢一(オーボエ)
第65回 プログラムより
「奥先生との想い出」
奥先生との出会いは高校生の時でした。音楽の先生が密かに奥先生にヴァイオリンを習っていて、何度か音楽部の指導に来て下さったのが縁でご自宅に伺うようになりました。
エネルギッシュなレッスンは常に 2 時間超で、重音のスケールの途中で気持ちが悪くなり、レッスン室のソファーで、先生にマッサージして頂いた事もありました。卒業してからは暫くご無沙汰していましたが、門下生の 1人が、ご主人の仕事の関係で海外へ行かれるのをきっかけに、十数年ぶりに門下生 3 人で先生のお宅にお邪魔する事になりました。その時の先生が、とても生き生きとされていたので理由を伺うと「あるオーケストラ(ギュンターフィルの事)で遊んでもらっているの…練習が終わると必ず飲み会があって、ビールや赤ワインを飲んで、それはそれは楽しい時間を過ごしているのよ。」と嬉しそうにお話しされていたので、私達も安心し、毎年 2 月の先生のお誕生日にお花をお送りしようね、と約束をしてご自宅を後にしました。
ところが 2005 年の 2 月、私がうっかり手配をし忘れてため、お花を届けるのが遅れてしまいました。慌ててお詫びのお電話をした際に、「貴女、今何しているの?暇だったらギュンター30 回の記念の演奏会があるんだけど、ヴァイオリンが足りないのよ…」と誘われ、状況的に断れず「1 回だけなら…」と即答しました。しかし、その演奏会の後もお嬢さんのうららさんとのコンチェルトの共演や、その度にうららさんから直接ご指導を受けることができたりと、魅力的な縁につられて、気がつけば先生と 25 回も同じ舞台で演奏する事ができました。そして弦の和気藹々とした諸先輩方との縁もあり、今回の 65 回まで続けてこられました。
今日はあの時集まった門下生の 1 人もサポートしてくれて、更に、うららさんにゲストコンミスとして出演頂いています。この全ての縁に感謝して、私はこの場に臨んでいます。
先生もきっと空から見守って下さっていると思います。
須原千景 (ヴァイオリン)
第66回 プログラムより
「大事なこと2つ」
私には長い間続けている大事なことが2 つあります。
1つはギュンターフィル。今回、改めて調べてみたところ、初めて私がギュンターフィルの演奏会に参加したのが2 004 年(第2 7 回演奏会)のことですから来年で20 年目、飽きっぽい自分の性格を思えば実に驚くべきことです(このオケの居心地の良さにただ身を浸してきただけかもしれませんが)。ちょうど新型コロナが流行りだした頃、仕事が非常に忙しくなり精神的にも参ってしまい、一時はギュンターフィルを辞めようと真剣に考えたこともありましたが、今回シューマンの交響曲第2 番のような素晴らしい曲を、信頼できる団員の皆さんと一緒に演奏することができ、あのとき早まらないで本当に良かったと思っています。
もう1 つの大事なことは山登り。以前は自分の限界を試すような登山に生きがいを感じていた頃もありましたが(若気の至り)、最近は人のいない静かな山・ルートを、好きな音楽を流しながらのんびり歩くのがお気に入り(熊避けとしても効果あり?)。登山と相性が良いのはモーツァルトのオペラやJ . バッハ全般、R シュトラウスの協奏曲など。大好きな山と音楽の2 つが一つの記憶になって残るのが良いところです。
今や人生の折り返し地点を越え、仕事をリタイアするのが待ち遠しい今日この頃ですが、リタイア後もギュンターフィルと登山は私の生活の両軸になってゆくはず。ギュンターフィルがサステナブルなオーケストラとして今後も末永く活動してゆけるよう、私も可能な限り貢献してゆきたいです。
最後に、今回私に代わってチマローザのソリストを務めてくださったオーボエの廣江さんに深く感謝申し上げます。フルートよりも発音や運指が難しく音域も狭いオーボエで演奏するのは本当に大変だったと思いますが、それを感じさせない卓越した技術のおかげで2 本のフルートの演奏とはまた異なる魅力を引き出していると感じます。本日お越し頂いたお客さまには、石川さんと廣江さんの息の合った素敵な演奏を心ゆくまで楽しんで頂きたいと思います。
渡辺拓史(フルート)
第67回 プログラムより
「エジプト・アレキサンドリアに赴任して」
私は、東工大を定年退職後2014年5月から昨年7月まで、日本のODA(政府開発援助)、エジプトー日本 科学技術大学(E-JUST)設立プロジェクトに参加し、副学長としてエジプト・アレキサンドリアに赴任していました。にもかかわらず、ギュンターフィルの定演には、毎回出演しておリました。というのも、本番に合わせて2~3週間帰国し、練習2~3回で本番を迎えるという「わがまま」を、メンバーの皆さんが許してくれていたからです。エジプトの国立大学は、授業料を無償としたおかげで、マスプロ化と質的低下をもたらし、理工系ではきめ細かい十分な教育ができず、頭脳流出が大きな問題となっていました。こうした中で、エジプト政府から日本政府に、日本型の理工系大学設立への協力が要請されたのです。E-JUSTは2010年にまず大学院がスタートしました。その後、「アラブの春」の政変、文化の違いを乗リ越え、2017年には、第2キャンパスが建設され、学部もスタートしました。2019年には、すばらしい第1キャンパスも竣工しました。私は、現役の教員であった時代から、年に2回ほどE-JUSTに赴き、専攻・大学院の立ち上げに協力し、2014年の定年を機に、副学長としてアレキ サンドリアに赴任したのです。
5年程前に日本に帰国した際、父の遺品を処分しようとチェックしていたところ、「昭和5、6年度練習艦隊巡行記念」と題するアルバムを見つけました。これには、戦艦「八雲」を旗艦とする帝国海軍練習艦隊が日本を出発して、スエズ運河を通リ、イタリアまで巡行し、なんとアレキサンドリアにも寄港した記録があリました。父は、この八雲の機関兵として乗リ込んでおリ、エジプトの絵葉書を買い求めたのでしょう。私が住んでいたアレキサンドリア・サン・ステファノの絵葉書も見つけました。
E-JUSTは、教育研究も軌道に乗リ、昨年にはタイムズの大学ランキングでエジプト1位にランクされるまでになリました。アレキサンドリアに赴任したのが運命的なものであったとはいえ、日本の素晴らしい国際協カプロジェクトに参加できたことを誇リに思っています。 鈴木正昭(トランペット)
第68回 プログラムより
「ギュンターフィルとの出会い」
時間に追われる生活の中で、ウィーンの音楽が忘れかけた心のスイッチを押してくれます。
私がギュンターフィルと出会うことができたのは、弦トレーナーの木村恵子先生のおかげです。
私は学生時代からウィーンフィルの艶やかな響きが大好きでした。会社オケでは、ウィーンの響きを追い求めて弦楽四重奏団を結成して楽しんでいました。4人の響きを合わせる為にオールド楽器や弓を入手し、奏法を学びなおすべく、ウィーンフィルの首席奏者ヨーゼフ・シュタール氏に師事された木村先生の押しかけ弟子にして頂きました。先生には、主に室内楽曲のヴィオラパートを中心にご指導いただきましたが、シュタール氏の逸話などにも会話が弾み、レッスンは毎回3時間を超えていました。レッスンの録音もご快諾くださり、何度も聴き直して詳細を記録したノートは私の大切な財産になっています。
ギュンターフィルの活動について先生から伺い、2017年の第58回演奏会から参加させて頂いています。「ウィーンの音楽を楽しむ会」という素晴らしいコンセプトに惹かれすぐにこのオーケストラの大ファンになりました。ギュンターフィルの魅力は古典派やロマン派の作品が中心であることや、メンバーが自由闊達に意見を出し合って音造りができる雰囲気、我々が譜読みもおぼつかない頃からソリストの先生にご指導を賜れるという幸せなど、枚挙に暇がありません。
今回の演奏会では、ソリストとして何度も出演くださった奥うららさんをコンサートミストレスとしてお迎えいたしました。弦分奏も熱心にご指導頂き、「宗教改革」冒頭のヴィオラの主旋律も、ボウイングのアドバイスで一変し感謝に堪えません。
またシューマンのピアノ協奏曲では第61回演奏会でモーツアルトの優しい音色で観客を魅了した岩田映美さんを再度ソリストにお迎えし、素晴らしい音楽をお届けいたします。
本日ご来場の皆様には日頃の喧騒から離れて、音楽の世界に浸る歓びを感じて頂ければ幸いです。
川上哲司(ヴィオラ)