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エピソード No.57 

第41回演奏会はギュンターフィルにとって多くの試練を乗り越えてのコンサートとなりました。

いつもの会場が閉館したため初めてのホールでのコンサート、重原さんを迎えての初めての演奏会、当団初めてのシューマン。

 交響曲3番「ライン」はマエストロ石井さんが予てより譜面を用意して何回か音出しをしたことがありましたが、そのたびに団員から「出来な~い! こりゃ無理だ!」と、✕をくらってきました。

しかし今回、石井さんの思いがオケ全員に乗り移り、熱い演奏になったような気がします。

そして初めての会場にも拘らずホールの響きに柔軟に対応できたのも今までの練習の賜物だったと思います。

コンチェルトはモーツァルトフルート協奏曲第1番を団員の京子ちゃんが演奏しました。

 素敵なドレスで優雅にそして颯爽と演奏する姿は、まさに「姫」。 新たな「シモベ」が何人も出来たのでは・・・

石井さん  重原さんは間違えなく貴方のDNAを引き継いでますよ!

(Presented by Ken

 

エピソード No.58 

第42回演奏会は奥うららさんと木村恵子さんをお迎えしてのメモリアルコンサートとなりました。 

早いものでマエストロ石井さんが旅立たれもう一年たってしましました。

 未だに「やぁー!」といって現れそうな気がしてなりません。

 昨年第40回演奏会後の打上げの席で「来年は恵子さんと一緒にモーツァルトのシンフォニアコンチェルタンテを演奏しましょう」と、うららさんより嬉しい提案をいただきました。

(Presented by Ken

 

第51回 プログラムより

「持丸君と私」

当管弦楽団の由来であるギュンター・ヘグナー氏を、大岡山の行きつけの飲み屋に誘って、お酒を飲んだのは40年も前になってしまいました。ギュンターフィルには、設立前からかかわってきたメンバーがたくさんいたのですが、年を取るにつれて、一人、また一人と抜けて、この時に酒を一緒に飲んだ仲間は、現在の当管弦楽団の団長を務める持丸君と私しかいなくなってしまいました。持丸君はオーボエの爺で、私はトランペットの爺です。

持丸君との私の付き合いは長く、大学3年生の時にさかのぼります。当時、私の東京工業大学管弦楽団と持丸君の明治大学交響楽団は、ともに尾原勝吉先生を指揮者として指導いただいていました。両オケの練習日程の調整などの連絡を取り合っていたのが付き合いのきっかけでした。その後、様々な場所で一緒に演奏する機会があったりして、酒を酌み交わしているうちに長い年月が経ってしまったというわけです。持丸君は私の大学院の奨学金を一晩で飲んでしまうような悪友ですが、楽しい青春時代を過ごすことができました。こんな中でギュンターフィルの活動がスタートして今まで続いてきました。決して腐れ縁なんかではありません。

私は、発足当時、大学院の学生でしたが、悪友や悪先輩たちの様々な誘惑にも打ち勝ち、博士号を取得し東京工業大学に職を得ました。助手、助教授、教授となり、論文の改ざん問題などもなく、大過なくこの3月に定年退職を迎え、名誉教授の称号をいただきました。持丸君は、すでに民間企業を退職され、悠々自適で毎日が日曜日だと言っています。私も持丸君のようにのどかに過ごしたいと思ったのですが、少し遠いところでもう少し仕事をするはめになりました。今後とも、持丸団長の下、ギュンターフィルを何とか続けていきたいと思っています。持丸君と私、65歳の爺の音も交じっていますが、皆様の温かい耳で聴いていただければ幸いです。

鈴木正昭 (トランペット)

 

第52回 プログラムより

「ひとこと」 

今日は、私たちの演奏会においでいただきありがとうございます。 

このオーケストラは私の宝物で、 今から34年前にホルンの名手ギュンター・ヘグナーさんとその 仲間を迎えた初めての演奏会である石橋メモリアルホールでのオープンリハーサルを皮切り に、信じられない名人たちをソリストにお迎えして、いろいろな協奏曲を楽しんできました。です から、私にとって、私たちの演奏会のメインは協奏曲で、 オーケストラは指揮者を中心に全員総 力でソリストに寄り添って、 至福の時を味わい、その力を借りて休憩後の交響曲を演奏して打ち 上げになだれ込み、ビールで乾杯、 そんな音楽と人生を楽しむ友なのです。 大学時代の音楽仲 間を核として成長してきたオーケストラですから、メンバーは歳を取りましたが、むかしとった杵 柄と、歳の功? で何とか続いています。 幸いに、私は1回目からこの仲間とずっとチェロを弾く幸せを味わってきました。 そして今回も、今では私たちの音楽の支えとなっている“うららさん” との共演、春に網走に転勤したために普段の練習にはなかなか参加できないのですが、うらら さんの並々ならぬ音楽への情熱とエネルギーを分けてもらって、演奏会では若い人には負けない、年寄りならではの熱演をしたいと思って今日に臨んでいます。

 瀬川進(チェロ)

 

第53回 プログラムより

「コントラバスは面白い?」 

オーケストラの各パートはそれぞれ役割を担っています。 弦楽器の中で最も低い音 域を担当するのがコントラバスパートです。 音楽はメロディに和声付けをするのが一 般的であり、その時一番重要な声部はバス声部なのです。バロック時代に良く見かけられる数字付通奏低音をご存じの方も多いと思います。 現在軽音楽で使っているG7とかC6のようなコード記号と同様に和音を指定する記号です。チェンバロ等鍵盤楽器奏者に和声を指定する際、 最低音は必ず指定しているということです。 名曲 「G線上のアリア」もあのオクターブで動く低音部なしでは曲にならないと思います。 ビー トルズの「ミッシェル」 もあのベースの動きがなければ名曲にはなりえないと私は思います。 モーツァルトの40番交響曲の冒頭も和声がIからⅣに変わってもバスパートは主音のGのオクターブを維持しているのが実に美しい。 等々枚挙に遑がありません。 作曲家の和声の感じ方を推測するには、 オーケストラの場合コントラバスパートが一番なのです。 

一方ホールでの響きを好くする役割も最低音を担当するパートであるコントラバス、 コントラファゴット、チューバ等に負うところが大きいと思います。 その決して派手な役割ではありませんがオーケストラを支えることを行っています。 そのような訳で、私はコントラバスが大好きなのです。 ギュンターフィルは結成から35年経ちました が変わらぬ思いで続けてきました。 これからも楽器の演奏が可能な限りギュンターフ ィルを支えていきたいと思っています。 

入江 功(コントラバス)

 

第54回 プログラムより

「オーボエ 初めの一歩」 

私が当団に入団したのが今から15年前でした。歴史あるオーケストラで吹くことは緊張 の連続だったことを覚えています。 そのオーケストラに長年鍛えられ、 協奏曲も体験させて もらいオーボエ奏者として成長させてもらった事にとても感謝しております。 

オーボエはオーケストラの中では花形と言われておりますが、 とても不器用な楽器で、本体・ リードともに湿度・温度に弱く、演奏者はプレッシャーにも弱く、本番になるとどこか具合 が悪くなるので、いつもビクビクしながら演奏しています。 

特にチューニング (演奏前の儀式?)のラの音(A音) を出すときは、どんなソロを演奏するよりも緊張します。 なぜなら開演10分前から舞台裏に待機をしているのですが、この時間が緊張のピークに達しており、口の中もリードも渇ききっています。 (リードは湿らせて 音を出します) 

会場が明るくなって緊張で顔を引きつらせながら舞台に上がり、 そんな状況下で442hzのAの音を出すのは我々アマチュアにとってはまさしく神業で、私は“見せしめの儀式”と呼んでいます。 

だからオーボエがチューニングのAを出すのは、「私の今日の調子はこんなものなので、みなさんすいません私に合わせてください」 が本当の理由だと私は思います。 

アマチュアオケで会場が明るくなって一番最初に登場するのがオーボエ奏者だったら、そのオケはオーボエ奏者にとてもやさしいオケです。 

あのAの音を出すまでの準備に時間がとれるので・・・当団はどうだったかなあ~。

廣江沖張(オーボエ)

 

第55回 プログラムより

「フルートとギュンターフィルのある生活」 

本日は私たちのコンサートにご足労頂きまして、 本当にどうも有難うございます。 私は舞台のほぼ中央でフルートを吹いている、 石川京子と申します。 

煌びやかなイメージを持つフルートは、時にオーケストラの花形的な役割を担うこ ともあって、そんな楽器を演奏する人はきっとお高くとまった人なのね、と思われ るかもしれません!?でも実は練習が終われば居酒屋を探してそぞろ歩き、 仲間と 熱く語りあい、あげくの果てに千鳥足で帰宅するなんていう人が多い楽器なのでは ないかと思っています。 (はい、 私です!) 

ところでギュンターフィルは、弦楽器も管楽器も分け隔てなく仲の良いオーケスト ラです。オケという同じ土俵の上では、年齢も職業も関係がなく、 合奏中に後ろを 振り向いて、「その音、間違っていませんか?」 なんて言った相手が、 超一流大学 の教授だなんてことは気にしません。 どんなに仕事が忙しくても、疲れて休みたい と思っても、なんとか都合つけて練習に参加しようという気持ちが湧き出てくるの は、同じ志を持つ仲間に会えるオーケストラというコミュニティが心地良いからな のでしょう。 

私は、フルートという楽器は、 鳥の声、 打ち寄せる波の泡、もしくは野原をぴょん ぴょん駆け回る野うさぎというイメージを持っています。 いつもその役割を全うで きるような素敵な演奏で、オーケストラの1つの役割を担いたいと思い、最近はこ れまでと違うジャズフルートも勉強しながら日々練習を重ねています。 

石川京子(フルート)

 

第56回 プログラムより

「人生最後の楽器・・・?」

のっけからトシの話で恐縮ですが、ギュンターフィルは平均年齢がそこそこ高めです。1年に2回の定期演奏会が既に56回を数えています。勿論、団員の入れ替わり もありますが、最近はかなりの割合で平行移動、つまり平均年齢が毎年ほぼ1歳ずつ高 くなっていく状況です。これは、皆さんが仲良く音楽を楽しんでいることの証左でもあ るので、決して悪いことではありません。で、私も約2年前にとうとう還暦を迎え、1年半前に楽器を新調しました。長く仕事を頑張ってきた自分自身へのご褒美のような感覚ですし、折角買い替えるなら、暫く楽しむ期間が確保できなければという思いもあ りました。実は、そのさらに3年前にパリに出張した折に楽器屋さん街で良さそうな店を物色し、どのくらい値引きをしてくれるか確かめてありました。1年半前、もう一度パリに行く機会がありました。愛用のマウスピースとリードを鞄に忍ばせての出張です。そして、半日だけ会議をさぼって件の店に直行。地下の試奏室で、沢山の楽器を並 べて選ばせてもらいました。その間、店主のおじさんが店の中で楽器を吹いていて、また、これが上手で結構プレッシャーを感じながらの作業でした。ギュンターフィルの団 員に限らず、私の身近にいるアマオケの管楽器奏者の方々の多くが還暦の前後に楽器を新調しています。そして、ずっと愛用してきた楽器にうしろめたさを感じながらも、何でもっと早く買い替えなかったんだろうという思いを抱くようです。私の場合は、こ れからさらに音楽を楽しもうという思いを新たにするには、良いタイミングであったと信じることにしています。。 

鞠谷雄士(クラリネット)

 

第57回 プログラムより

「少年の夢」 

中学時代テューバ吹きだった私は、 とある映画音楽のホルンのカッコよさにシビれ、 「高校に 入ったらホルンを吹く」 と心に決め、 高校受験合格発表翌日に銀座の某楽器店へ。

これが私のホルンとの出会いである。 そして高校の先輩より 「上達の近道は良い音を沢山聴いて、イメージをハッキリさせること」と、大量のカセットテープを頂いた。

 《演奏:ウイーンフィルハーモニー管弦楽団》今まで聴いたどのオケよりもハマった。

その中で見つけた《ソロホルン:ギュンター・ヘグナー》。運命の出会である(と私は思っている)。 

その後、楽器屋で見つけたギュンター氏のポスターを店員に頼み込んで譲ってもらい「いつか、 この人とホルン奏者として会いたい」 と夢のような目標を立て練習に励んだ。 そう、 「夢」である。

しかし約15年後、故·石井善明氏、持丸氏との縁により、「夢」は突然「現実」となった。

当オケでのギュンター氏との共演、しかも第46回ではソリストとして、である。

「幸ㄝ」「感激」「感動」を超える表現が見つからないのがもどかしい。

もし私が生きている間にタイムマシンが発明されたら、16歳の私に会って是非伝えたい。 

「この調子で頑張れ!15年後、ものすごい事になってるぞ!」 

石橋享(ホルン)

 

第58回 プログラムより

「和音雜感」

無限の組合せを持つ和音の中には極少数ながら人の特定の心情に響くものがあります。

もちろんその心情は人によって違うと思います。

以下、和音と心情の例を紹介します。 皆さんはいかがでしょうか。 

(1)長三(ギターコード名C)安堵 (2)短三(Cm)鄉愁 (3)增三(Caug):不可解 

(4)減三(Cdim):心配 (5)繫留三(Csus4):静粛 (6)属七(C7):膨張 

(7)短七(Cm7):優美 (8)長七(CM7):衒い (9)減七(C7dim):不安 

(10)繫留七(C7sus4):嚴肅 (11)名称不明(C7b5):怪奇

下の図は、試しにこれらの和音を可視化したものです(C音を根音とするもののみ)。

和音の違いが図形の違いとして認識できます。

この図形と心情との繋がりを工学的に説明できればと思いますが私には無理です。

興味ある方はぜひ助言下さい。

和田丞平(チェロ)

58回投稿文中図形.png

 

第59回 プログラムより

「突然の旅立ち」 

出会ったのは何時の頃だったでしょうか。 

ウィーンでホルン作りの修行をしていた仲間の紹介で、 ウィーンフィル来日時に都内の赤提灯で一杯やるのが恒例にな っていました。 

そのうち、ホルン部隊の親分であったギュンターさんより 「僕もホルンをちょっと吹けるので、今度一緒に遊ばない?」と、まさかの提案からギュンターフィルが始動しました。 

それから1年後、 夢の様な演奏会が1980年10月21日石橋メモリアルホールで実現しました。 これがギュンターさんと初 めての共演です。 

曲目はモーツァルトのホルン協奏曲第3番。そして、アンコールにはギュンター親分率いるホルン隊 4名でオーストリアの民謡を何曲も何曲も朗々と奏でてくれました。 このアンコールはオーケストラの団員も知らない サプライズでした。 

こうしてギュンターさんとの長い長いお付き合いが始まったわけです。 

1982年10月と2003年11月にシュトラウスのホルン協奏曲 第1番、2011年1月にはモーツァルトのホルン協奏曲第3 番、そして翌2012年1月にはギュンターフィルのホルンメン バーと一緒にヒューブラーの4つのホルンのための協奏曲を 演奏してもらいました。 

また、今まで多くのウィーンフィルの方々と共演出来たのも すべてギュンターさんの紹介によるものでした。 

昨年末「5月に来日するので演奏会乗るよ!」と嬉しい知ら せがあったばかりなのに・・・ 

あまりにも突然の事でした。 

でも、今日は約束通りギュンターさんも一緒に演奏してくれ ているでしょう。 あの柔らかな極上の音色が聞こえます。 

ありがとう、そして安らかに。 

Wir drucken unser aufrichtiges Beileid aus. 

代表  持丸賢一 (オーボエ)

 

第60回 プログラムより  ■ギュンターさんを偲んで 

「ウィーンの心」 をありがとう 

ギュンターと初めて会ったのは昭和53年だったと思います。私たちのオケの仲間と一緒に大岡山の居酒屋でお酒を飲みました。 最初に「プロースト! (乾杯)」 を覚え、馬鹿の一つ覚えでプローストを重ねて酔っぱらいました。 こうして、シャイな我々も何と か酒の力でギュンターの仲間となったのでした。

 それから来日のたびにプローストと言って呑んでいる内に、ギュンターが一緒に音楽をやろうと言ってくれたのでした。大体、私たちのオケは伝統的に、方針も何も酒の上で決まっていましたから、とんでもな いことでもおかしくはありませんでした。それでも、実際に練習場で、初めてギュンターの音を間近で聞いた時は、正直、みんなビビっていました。

 こうして、40年もの長い間、ギュンターはもちろん、彼の仲間のウィーンの方々と音楽を楽しむ機会を与えてくれました。

ギュンターに 「ウィーンの心」 を教えていただいたような気がします。 

私は、日本の援助でエジプトに日本型の大学を造る 「エジプト-日本科学技術大学設立プロジ ェクト」に参加し、アレキサンドリアに住んで5年目を迎えました。このプロジェクトでは英 語を共通語としていますが、なかなか思うところが通じません。イスラムのエジプト人はお酒 を飲まないので、酒を飲んで何となく通じさせる私の得意技が使えないのが難点です。 それでも、付き合い始めて10年がたち、「日本の心」が伝わってきたのを実感する今日この頃です。

4月のある日、アレキサンドリアでギュンターの訃報を聞きました。ビールの栓を抜いて、窓から見える地中海の彼方のウィーンと思しき方向に向かって、「プロースト」 をしました。

「ギュンター、長い間、ウィーンの心をありがとう」。 心よりご冥福をお祈りいたします。 

鈴木正昭 (トランペット)

 

 

「ギュンターさんとの思い出」 

1980年10月、初回練習は大岡山、東京工業大学管弦楽団の部室でした。 ギュンターさんは、練習の合間に私のところにやって来て、ティンパニの革を指で弾き 「プラスティックは頂 けないね!」。

ウィーンのティンパニは山羊革だそうです。2度目の演奏会は1982年10月。その翌年1月6日夜、私は車でウィーンに入ると、ギュンターさんのご自宅にいきなり電 話...「ヨシさん(創立名誉指揮者の石井善明氏)のオケでティンパニを叩いている中西です。 ウィーンに来ちゃいました。」「明日は仕事があるのでお相手はできないけど、午後は録音なので仕事場に聴きに来るかい?」。

翌日、ムジークフェラインザールに行くと、マゼールとマーラー「復活」 第2楽章のレコーディングでした。休憩時間、打楽器の首 席に「うちのティンパニが見たいって、日本から来たんだ・・・」とご紹介頂き、 舞台へ。

打楽器の若手に 「山羊の革だよ、 叩いてみ る?」とフェルトを重ねて螺旋留めした撥を渡されたのですが、ウィーン式の楽器は初めて、左右の配置も逆で、叩き慣れたフレ ーズを演奏してみることもできませんでした。

団の皆さんは、夜は国立歌劇場でお仕事、私はそのチケットは取れず、国民歌劇場 で「こうもり」でした。 「終わったら、マーラー通りの店に居るから、来る?」 とギュンターさん。行ってみると、 ホルンパートの面々が飲みながらのお食事中。 「ウィーンのシュニッツェルは仔牛の肉だから美味しいよ!  で、いつまで居るの?」「明日帰りま す。」「えっ、今迄どこ行ってたの?」「ベルリン、ドレスデン、ライプツィヒ、...」「だめっ! 今度は、ウィーンとザルツブルグ1 週間ずつにしなさい。東ドイツの田舎なんかに行ってちゃだめだからね!(笑)」

ギュンターさん、もうウィーンに行っても会えないですが、いつもどこでも私達の心の中で優しく微笑んで居てください♪

中西達郎(ティンパニ)

 

第61回 プログラムより

「Vn の仲間」 

孫の世話と高齢の母の世話で忙しい主婦。 

大やけどをしても、手術をしても本番になんとか参加。 

鍼灸師の資格を取った人も。 (体調が悪いと  鍼持ってますよ と声をかけてくれます) 

来年小学生になる愛娘が  Vnを始める と目を細めるパパ。 

他オケのコンミスも。 

皆こよなく音楽を愛して土曜の夕方に集います。 

管のいい音色を聴きながら、 まじめで情熱的な重原さんの指揮で練習開始。 

でもわかっていてもなかなか指示されたようには弾けません・・・。

恵子さんうららさんに教えて頂いたのに身につくには時間がかかります。

以前石井さんが 「もう2週間早く仕上がりませんか」とおっしゃいましたが、

今もそのペースです。 

そして休憩時間はモグモグタイム。 

もっと個人練習しなくちゃ  とおもいながら明日の活力を得て帰ります。 

恵子さんからお聞きしたシュタールさんの 「弦のTuttiがオケの要」 という言葉を胸に しっかりと秘めて。 

これから少しずつ上達したいとおもっています。 

緒方 ゆり子(ヴァイオリン)

 

第62回 プログラムより

「第62回定期演奏会に寄せて」 

本日は、週末のお休みのところ、 ギュンターフィルの演奏会へ足をお運びいただき、あ りがとうございます。 いつもは指揮を担当しております重原です。 今回の演奏会は、生憎、 職場の外せない行事と重なってしまい、田中健さんに指揮をお願いすることになりました。田中さんは、オケの旧くからの友人で、「ギュンターフィルの心」を心から理解されておら れる方。私も全幅の信頼を寄せております。

今日のプログラムは「田園」 と 「運命」、 超ヘビー級の二曲です。「田園」というと、宮 沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」 を思い出します。 先日、昨年惜しまれつつ亡くなったア ニメ作家・高畑勲さんの展覧会に行った折に、高畑さんが監督した 「ゴーシュ」のDVD を買い求めて、久しぶりに自宅で楽しみました。楽長に叱られつつも必死に「第六交響曲」 に取り組むゴーシュ。様々な動物たちとの心の交流を通して、gauche (仏語の「不器用」) の束縛から解き放たれ、自然との一体感を巧まずに受け入れられるようになるゴーシュを みていると、ベートーヴェン、賢治、高畑に脈々と流れる、人類の 「自然に対する畏敬」 がひしひしと感じられました。

DVD の付録に付いていた、 賢治の聴いた 「第六交響曲」 (指揮: ハンス・プフィッツナ 一、演奏: ベルリン国立歌劇場管弦楽団、 1929年録音)の演奏を聴いていると、ギュン ターフィルの普段の演奏が、ふと頭をよぎりました。技術とか効果とかお行儀ではなく、温もりや快さを求める音楽に対する姿勢。この半年、オケから離れてみて、ギュンターフ イルの貴重さ・希少さを改めて感じております(手前味噌のようでしたらご免なさい)。

私自身、 今日の演奏会に聴衆として伺えないことがとても残念です。田中さんの指揮の下、熱い演奏を繰り広げる仲間たちの姿が目に浮かぶようです。

重原孝臣(指揮)

©  2023 Günter Philharmoniker
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